こんにちは、だちくさくん です。
これから続く3つのブログは、2020年8月の夏休みに岐阜県と石川県に行ったときのことを記録します。
ざっくり紹介しますと
- 『関ヶ原古戦場』(岐阜県関ヶ原町)
- 合掌造り集落『白川郷』(岐阜県白川村)世界遺産
- 日本三名園『兼六園』(石川県金沢市)
となってます。
もし興味のある方は最後まで読んでいただけると嬉しいです!
(あくまで観光ルートや感想はわたし個人の主観に基づくものなのでご了承ください)
それではどうぞ ↓↓↓↓↓
<注意1>
今回の旅は『コロナ禍』において自主自粛が推奨されるなか、個人的な判断で十分な感染リスク対策を行ったもと実行したものです。けっして『観光地』そのものを否定したりしないようご理解のうえ閲覧ください。
<注意2>
今回のブログ記事は写真がほとんどです。
通信環境によっては表示が重たくなるかもしれませんので、ご注意ください。
今回のブログでは、上記1.に該当する
『関ヶ原古戦場』(岐阜県関ヶ原町)
についてです。
夜中の『関ヶ原古戦場』歴史を感じつつ、なんともいえない雰囲気でした#関ヶ原 #関ヶ原古戦場 #関ヶ原の戦い #岐阜県 #天下分け目の関ヶ原
出発〜
2020年8月8日(土)の19時ごろに家を出発しました。
いつものように夜から出るのが好きなんですw
なぜならば、道路が空いているから...
普段から渋滞や混雑がキライなので、できるだけ移動するときは時間帯をズラすようにしてストレスを軽減しています。
さらにクルマや人が少ないということはそれだけ『事故』をおこす確率が減るということにもつながりますからね!
今の時期は日中の気温も高く、暑さもハンパないので温度の下がる夜間に移動するのはかなり有効ですし。(車中泊を利用して朝から目的地近郊で行動できるのも魅力です)
と、こんな理由付けで一路『関ヶ原』へ・・・
なぜ関ヶ原?
正直、今回の旅の目的地は2つでした。
- 白川郷
- 兼六園
わたしの旅の流れは、いつもそのときの『フィーリング』で決まる!
といっていいくらい適当ですw
上記の2箇所を観光するにあたり、Google マップでルート決定をしているとちょうど途中にあったという偶然から寄ることに...(高速道路は一旦降りることになりますが)
個人的に戦国時代(武将)には興味があって、教科書で習った地名にはワクワクするのです!
ここに『関ヶ原の合戦』とは・・・(ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典より引用)
慶長5 (1600) 年美濃国関ヶ原で,徳川家康を大将とする東軍と石田三成を中心とする反徳川勢力の西軍が行なった会戦。この戦いののち家康が天下を握ったことから「天下分け目の戦い」ともいわれる。
慶長3年豊臣秀吉が死ぬと,五大老,五奉行制に立脚していた豊臣政権は五大老筆頭の徳川家康が政権獲得への野心を示したことから動揺をみせはじめた。豊臣家内部にも対立があり,秀吉の正室である北政所 (きたのまんどころ) は徳川家康と,側室淀君は石田三成と手を結んだ。同4年五大老の一人として豊臣秀頼を補佐して家康との対立関係を調整していた前田利家が死ぬと家康の策動は表面化し,石田三成に反対する大名加藤清正や福島正則を味方につけることに成功し,対立は激化した。
同5年6月上杉景勝が会津に引きこもって家康に抵抗したので軍を進めたが,これは三成の挙兵を挑発する策動であった。三成は主として毛利,宇喜多,島津,小早川など西国大名を糾合して同年7月挙兵した。家康は長男結城秀康を上杉と対陣させ,みずからは東海道を,秀忠には東山道を進ませ,同9月 15日関ヶ原で戦闘が始った。
西軍には大将と目するものが存在せず足並みがそろわず苦戦し,そのうえ小早川秀秋の裏切りにあって総くずれとなった。
戦後,石田三成,小西行長,安国寺恵瓊は処刑され,その他は降参。石田方に味方した大名への処罰はきびしく改易 91家 420万石,減封4家であった。また豊臣秀頼は摂津,河内,和泉を領する一大名にすぎなくなり,ここに徳川氏の覇権が確立した。
〜関ヶ原までの道のり
『モテナス菩提寺PA』にてトイレ休憩(家を出発してから約220km)
時間が遅いので閉店
カレーが有名っぽい⁉︎
夜中の関ヶ原
一旦『関ヶ原』ICで降りることに...
そこから目的地の『関ヶ原古戦場』までは約2km。
到着時刻は23:31でした。(家を出発してから約290km)
心地よい風がのぼりをなびかす
辺りはのどかな田園風景(とても静かです)
駐車場は広くない...
< 訪れてみて感じたこと >
そのむかし、この地で天下分け目の戦いが起こったのかと想像するとなんともいえません。(戦による犠牲ははかりしれないものでしょう...)
いろいろな人間のドラマがあり、駆け引きや思惑のなか小早川秀秋の寝返りがなかったらどうなっていたのか、などなるべくしてなったというか・・・
しかし、いまの日本があるのはこういった歴史の積み重ねがあってのことであり、時代背景を尊ぶ気持ちを忘れてはいけないと思いました。
関ヶ原をあとに
日付もかわり、真夜中の『関ヶ原』を満喫してその地をあとにします。
ここからは『美濃IC』まで下道を走ることに。
道中、お腹が空いてきたのでラーメン屋『くねくね・大垣店』に寄ることに。
『極味』ラーメンをいただきます
炒飯もセットに
真夜中のラーメンは身体に悪いとわかっていても、うまい!
たまりませんねぇ〜😆
閉店までに入れた奇跡とカツオ風味のスープがあいまっって、空腹を満たしてくれた満足感は最高でした👍
そして宿泊地へ
『くねくね』ラーメンを食したのち、クルマのガソリンも補給して一路宿泊地へ。
(給油は不破郡垂井町内でハイオク単価136円・走行302.9km、給油24.82ℓ、燃費12.20km/ℓ)
今回の宿泊(仮眠休憩)地に選定したのは、東海北陸自動車道の『瓢ヶ岳(ふくべがたけ)PA』です。
次の目的地が『白川郷』なのでそこまでのSA・PAで決めたかったというのと、時間的にいい時間だったから。
到着したのは8月9日(日)の2:40ごろ(走行距離:約340km)
お・や・す・み 💤
そして②(白川郷編へつづく)
次回は世界遺産に登録されている、合掌造り集落で有名な『白川郷』の記録を記事にします。
乞うご期待ww!
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お待ちかね🤗・・・『白川郷』編の記事はコチラから ↓↓↓↓↓
そんなわけで、今回も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
この記事が少しでも皆さまのお役に立てれば嬉しいです!
それではまた・・・